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 かつて、マスカダインと呼ばれる大地があった。

 死して死霊となり人に取り憑いた魂が、その地に御座す九体の神霊より欠片をいただき、試練を受けて精霊と為ったものをトギと呼んだ。また、死霊に取り憑かれし人間は、死霊とともに試練を受け、己についた死霊がトギとなったあかつきには、トギ持ちとなり、そのトギを使役する力を持つ異能者となった。異能者となった人間を、ワノトギと呼ぶ。

ワノトギは百五十年もの寿命を持ち、己がトギとともに悪霊と化した霊を祓うために、マスカダインの地をさすらう。

 

     ※ ※ ※ ※ ※

 

 ワノトギであるナギニーユとマレフィタは、目的地であるデュモンド湖畔の集落にたどり着いた。そう、記憶違いでなければ、ふたりの立つこの場所には、目的の集落があるはずだった。

 二人が目指していたセンナの町は、ヒヤシンスの中でも大きな集落だ。その集落が跡形もなく消え失せていることに、覚悟していたとはいえ、呆然とする。

 大嵐のように横から縦から吹き付ける風と水滴を避けるため、深くフードを被った二人は、そのせいで、上空に存在する異様な物体に気がつくのが遅くなってしまった。

 二人がようやくそれに気づき、上を見上げたまま、歩みを止める。

少し先に、丸く巨大な水の玉が浮いていた。吹き付ける水滴は上空の球体から放たれ、渦巻きながら再び吸収されていく。よくよく見ればその球体の中には町の瓦礫も内包されているようだった。

 

「ナギニーユ!」

 

 先を歩くナギニーユにマレフィタの叫び声が聞こえた。

 普段声を荒げることのないマレフィタの叫びに、何事かとナギニーユが振り返ると、彼女は青灰色の髪を振り乱し、必死の形相で前方を指差した。ナギニーユが視線を前方に戻すと、上空の巨大な水の玉から吐き出された小さな水玉が、こちらに向かって飛んで来る。小さいとはいえ、ナギニーユをすっぽりと包み込むほどの大きさだ。

 

「トギ!」

 

 ナギニーユは己のトギに助けを求めた。しかしトギは眠りにでもついているのか、応えがない。

小さな球体の中には瓦礫が含まれている。あの速さで、瓦礫を含んだ水に直撃されたら、ひとたまりもないだろう。

マレフィタの力は癒やしであり、あの水の玉に対抗できるような力ではない。

 

ナギニーユはとっさに、飛んでくる水の玉とマレフィタの間に体を割りこませた。だが、いかにナギニーユが元漁師であり、たくましい体つきをしていたとしても、到底あの水の塊の前には、何の役にも立たないにちがいなかった。

 二人は目をつぶり襲い来る衝撃に備えた。

 

 

 ジュワッ!

 

 水分が蒸発するような音がした。

 ナギニーユが恐る恐る目を開くと、そこには大きな炎が盾のように出現していた。

 

 『危機一髪! 大丈夫だった?』

 

 二人が声のした方角を見ると、いたずらめいた顔をした男が、くるくると赤い光を体にまとわせながら笑っている。

 

「イオネツさん!」

「イオネツ!」

 

 そこに立っていたのは炎の力を持つイオネツだった。

 

『いや、ぼくはイオネツのトギなんだけど……ちょっとまってね。体をイオネツに返すよ』

 

 イオネツ(トギ)がそう言うと、盾のように広がっていた炎が消え、イオネツの体から赤い光が消えていき、パチリと大きくまばたきをした。

 目を開いたイオネツがニヤリと笑った。

 そこに立っているのは、同じ顔をした別人だった。

 今までの茶目っ気のある表情が消え、どこかシニカルな大人の男の顔に変わっている。

 

「よお、お二人さん待ってたぜ」

「イ……イオネツさん!?」

 

 目の前には、二人のよく知るイオネツがいた。

 マレフィタは、ふと笑顔を見せると、そのままその場にへたり込んでしまう。イオネツはマレフィタを支えると、ついて来いというようにナギニーユに手招きをして、歩き出した。

 

     ※ ※ ※ ※ ※

 

 かつてセンナの町があったと思われる一帯は、家も店も、湖に面する船着場も、広場や生い茂る木々さえもない荒れ果てた平原となってしまっていた。その荒野の上空に、瓦礫を抱え込む水の玉が浮いている。

 荒野の中を歩く先に、ぽつんと一箇所だけ、緑の木々に囲まれ、激しい風雨から守られた地帯があった。

 

「すごい」

 

 案内され、この緑の砦までたどり着いたナギニーユとマレフィタは感嘆の声をあげた。

 

「すげえだろう」

 

 イオネツは後を振り返りふふんと笑う。

  三人が、分け入る隙もないほど生い茂る枝葉でひしめいた、小さな森の前に立つと、まるで扉が開くように枝が脇へと避けて森の中への入口が出現した。

 

「この砦を保っているのは、サディンをリーダーとする植物系の力を持つワノトギ」

 

 イオネツは時折後を確認しながら、森のなかへとどんどんと入っていく。

 森の木々は、三人を案内するようにその腕をひらき、三人が通り過ぎればまたピタリと入口を閉ざす。

 

「これが緑の神霊、シャンケル様の力なのね」

 

 マレフィタがつぶやいた。

 この緑で出来た砦に入った途端、打ち付ける風雨の音も、少しは小さくなる。

 

「そう、そして……」

 

 目の前の樹の枝がざわりと揺れ進路を開くと、そこは緑に取り囲まれた開けた空間になっており、さらにその中には、岩でできたドーム状の建物のようなものがあった。

 

「これが、メユル率いる土系の力を持つワノトギが作った俺達の砦だ」

 

 ナギニーユは目の前の光景にぽかんと口を開けて立ち尽くしていた。植物を操る緑の力と、土や岩を操る紫の力など、はっきりいってこの戦闘には役に立たないと思っていたのだ。

 隣を見れば、マレフィタも目を見開いて周囲を見回していた。いつもやんわりと微笑み、感情をはっきりと表さないマレフィタが今、驚きの表情を浮かべていた。

 

 岩でできた砦は、一箇所だけ大きく口を開いており、そこから出入りするようになっていて、きちんとした扉などはない。

 中には二十名ほどのワノトギたちでひしめき合っていた。

これほど大人数のワノトギが一所に集結することは、未だかつてないことだった。ワノトギは稀なる存在であり、このマスカダインの大地いるワノトギは、総勢でも百人に満たないのである。

集まるワノトギの中には、ナギニーユやマレフィタの知り合いも数名いて、二人は挨拶を交わしながら、砦の奥へと入っていった、

 

「君たちがナギニーユとマレフィタだね?」

 

 ほわりとした笑顔をのせた男が、砦の最奥の岩の上に腰を掛けている。

 

「ぼくは、ポフィカント。まあなんて言うか、今回の作戦の指揮を任されちゃってるんだけどね」

 

 男は立ち上がり、先にナギニーユ、ついでマレフィタに握手を求めた。

 

 ナギニーユはポフィカントに会ったことこそなかったが、名前は知っている。御年七十を超えるはずだが、彼の外見は一般的な人間の、三十代から四十代ほどにしか見えない。神霊ネママイアの器と幼なじみである彼は、青のワノトギでありながら、紫のネママイアの加護も受けていると噂される、有名なワノトギだった。

 

「この悪霊が生まれたのが秋のひと月サオ・ルアの中頃。で、今は秋のふた月フド・ルア。ぼくたちワノトギは疲弊しないように交代でトギの力を使い、悪霊をこの場に押しとどめ、この砦を守り続けてきたんだよ。そして、君たち二人の到着を待っていたってわけ」

「俺たち……ですか?」

 

 マレフィタはこのマスカダインでたった一人の、癒やしの力を持つ貴重なワノトギである。彼女ならわかるが、なぜ霊力の極めて低い自分が? と、ナギニーユは小首を傾げた。ナギニーユのトギは霊力が高いのだが、ナギニーユ自身は霊力が弱く、トギを存分に使いこなすことが出来ないのだ。後を振り返ってマレフィタを見ると、彼女も小さく首を傾けながら、ナギニーユを見上げている。

 ポフィカントが周囲に手を振って合図をすると、その場にいたワノトギたちが、彼を中心に集まりだした。

 

「さあ、最後の作戦会議を始めるよ」

 

 ポフィカントが集まったワノトギを見回した。その中には、つい先刻二人を救ってくれたイオネツもいれば、彼の相棒であるハルッシオの姿もあった。

 

「いいかい?  あの上空にある水の球体はべセナートが悪霊化したものだ」

 

 集まったワノトギの間からため息が聞こえた。

 

「辛いことだけれど、ぼくらはワノトギとして悪霊を浄化しなくてはならない。あの悪霊は、ここに在ったセンナの町を全滅させた。跡形もなくね。町中の人たちを飲み込み、あそこまで膨れ上がったというわけで、下手に浄化しようとすれば、逆にこちらが吸収されかねない」

 

 ポフィカントがナギニーユをじっと見つめた。その視線に耐えかねて、ナギニーユはゴクリと生唾を飲み込む。

 

「ナギ。君のトギの霊力は高いときいている。それに君は、今ここに到着したばかりで、力をすり減らしてはいないはずだ。君にアレの浄化を頼みたいんだ。そしてマレフィタは癒やしの力を持つ貴重なワノトギだ。君はナギが死霊を浄化するまで、ナギに癒やしの力を注いでやってほしい。我々は、これから全力で悪霊の力を削ぎにかかる。いけると君が判断した時に、あの悪霊を浄化して欲しい」

 

 マレフィタは大きく一つ深呼吸をした。いつも夢見るような彼女の瞳が、大きく見開かれている。そんなマレフィタの表情を目にしたナギニーユは、責任の重さに腹の底が冷えていくのを感じていた。

 

「……トギ。出来るのか?」

 

 震える声でナギニーユが己のトギに問いかける。すると、頭の中でトギの声がした。

 

『もちろん。オレは最初からそのつもりで、今まで力を温存してたんだから、やるよ?』

 

ナギニーユが己のトギの返事に驚いていると「さすがは、ナギニーユのトギだね」と、ポフィカントから声がかかった。

 ポフィカントには、ナギニーユのトギの声が聞こえたのだろう。他人に憑くトギの声は、霊力が高く、波長も合うワノトギでなければ聞くことは出来ない。

 ナギニーユはだが、そのことよりも先ほどのトギの答えにハッとして、声を上げた。

 

「もしかして、さっき悪霊に襲われた時も、力を使わないために助けてくれなかったのかよ!」

『ああ、俺が浄化をすることになるらしいのは、ナトギからの伝令でなんとなくわかってたし、あそこにイオネツさんが来ることもわかってた』

「おまえ! だったら、一言くらい言っておいてくれてもいいだろうが! もう、ダメかと思ったんだぞ! おい!」

 

 ナギニーユは自分のトギに向かって抗議の声を上げたが、トギからはもうそれ以上の返答はなかった。ナギニーユのトギは霊力が高いのだが、ナギニーユ自身の霊力は低い。トギと交信するだけでも疲弊してしまう。トギはナギニーユの霊力を慮っているのだろうが、ナギニーユはどうも納得がいかず、悔しげに舌打ちをした。

 

 ぶふっ。

 

 誰かが耐えかねたように吹き出した。そちらに目を向けると、イオネツが口元を抑えて、くっくっくっと、肩を揺らしている。イオネツの笑いにつられてその場の緊張が少しだけ解けた。

 

「考えりゃ、お前がいちばん大変そうだな」

「頑張れよ坊主」

 

 集まったワノトギたちに笑いながらの激励を受け、ナギニーユは顔が熱くなるのを感じた。

 

「イオネツ。フォルテナは? 見当たらないけど、戦いに出ているの?」

 

 聞こえてきたマレフィタの柔らかい声に釣られるように、ナギニーユは背後のイオネツを振り返った。

 イオネツとハルッシオ。この二人は各地を旅して歩くワノトギで、トギとの力のバランスもよく、皆からの信頼も厚い。ナギニーユも死霊に憑かれた時、この二人に神殿まで連れて行ってもらった恩義がある。

 近頃イオネツとハルッシオが、フォルテナという少女とともに、旅をしているという噂を聞いていたナギニーユは、なんとなく興味が惹かれて、耳を傾けた。

 

「あいつは赤のワノトギの中でも特殊な力があってな、伝令に飛んでもらった。そろそろ帰ってくるだろう」

「特殊?」

「ああ、普通赤のトギは炎を操るんだが、あいつの場合炎と同化する」

 

 イオネツが立ち上がり、肩をゴリゴリと回す。その隣では、彼の相棒のハルッシオも立ち上がり、外套の具合を確かめていた。

 砦の奥に腰掛けていたポフィカントが大きく口を開けた砦の出入り口へと向かった。

 

「みんな、準備はいいかな?」

 

 出入り口で振り返り、ゆっくりと一同の顔を眺める。

 

「今回が最終攻撃となるからね。ただ、無理はしないこと。霊力を使い果たして前後不覚になるなんてことはなしだよ。危なくなった者は砦に退避すること。ナギとマレは戦闘には加わらない。ワノトギたちはナギとマレの防護を最優先してね。頃合いを見計らって、ナギは悪霊を浄化する。脳神経系のワノトギは、戦闘に出ているもの全員に今回の作戦決行を伝えてね……では、っと」

 

 ポフィカントの肩のあたりから青い光はほとばしり体を包んでいく。それと同時にどこか幼気だった彼の笑みをたたえた口元が一文字に引き結ばれ、無表情に変わっていった。

 

『では、出陣する。皆、吾に続け』

 

 ポフィカントは、体を己のトギに明け渡したらしい。それだけ言うと、皆を一顧だにもせずくるりと背を向け砦を出て行く。

 ポフィカントに続くトギたちの体が、赤や青、紫に発光し始める。

 戦闘に加わらないナギニーユはまだトギに体を明け渡してはいない。霊力の低いナギニーユは、トギに体を明け渡せば、それだけで大きく消耗してしまうのだ。

 怪しい光を発し、人ならざる精霊に体を支配されるワノトギたちを目の当たりにして、自分もワノトギであるにもかかわらず、ナギニーユは不思議な心持ちになっていた。

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むらさめ(上)

観月/作

◆ご参考として◆

こちらの物語を読まれる前に、下の作品を読んで頂くと、より作品を楽しんでいただけると思います。

「麗しき、その島」 「共に刻む刹那」 「ナギニーユとトラカトル」

「旅人」 「暗き鳥影」 「ワノトギであるということ」 「ゼキア、受難の日」

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