Muscadine Chronicles
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分厚い雲の垂れ込めた空。旅人が二人、生暖かい風にマントを重くはためかせながら歩いている。二人の視界の先には、川沿いの小さな集落が見え始めていた。
「降り出す前にたどり着いたな!」
先を行くイオが振り返った。
ルシオからの返事はなかったが、イオは気にもせずに足を早めた。
その小さな集落は、ダナル川沿いの宿場町で、数十件の宿や店が軒を並べていた。
町へ至る道は一本しかなく、門番の守る関を通らなければならない。門番とはいってもそれぞれの宿の持ち回りであり、客引きと少しも変わらない。
たった今も、二人の姿を認めた門番が揉み手をしながら詰所から顔を出した。でっぷりと突き出た腹は、とても有事に役立つとは思えない。
「いやぁー、旦那方。さぞお疲れになりましたでしょう……どこから? ああ、ロワンザから。ささ、よろしければお荷物をお持ちいたしますよ? ええ、あそこに控えております者が宿まで案内いたしますんで……」
男が指し示す方に目を向けると、まだ子どもと言えるような少年たちが数人たむろしている。門番からの視線に、一人が弾かれたようにこちらへ向かってきた。
「お荷物お持ちします」
子どもらしい声がして、少年がイオとルシオに向かって手を差し出した。
少年に背負っていた荷を差し出そうとしたイオは、ふいに動きを止めた。そして、素早くルシオを振り返る。ルシオもその場で動きを止めて、何かに聞き耳を立てるようなしぐさをしている。じわじわと無表情だったルシオの眉間に、皺が寄りはじめた。
「門番、この町に今死霊憑きがいるか?」
「……え?」
イオの言葉に門番は一瞬虚を突かれたような顔をした。その表情は次第に蒼ざめていく。
ルシオは躊躇することなく町の中へと入って行った。
「旦那! 待って下さい。いったい……?」
イオはルシオを呼び止めようとする門番の前に立ちふさがった。
「いるんだな?」
「ですが……あの死霊憑きは……もうすでに、腕は肩口まで憑かれたことを示す蚯蚓腫れが出来ておりまして……。足の方ももう腿辺りまで。いつ悪霊になるともしれず、町のものは恐ろしさのあまりこの町から追い出したのです!」
イオは小さく舌打ちをする。
「アホが……」
「え?」
「いやなんでもない。俺たちはワノトギだ。死霊憑きについては、責任を持って神殿まで送り届ける」
「……なんと! ワノトギ!」
イオは何度も頭を下げ礼を述べる門番を置いて、町の奥へルシオの後を追って入っていった。
荷物を受け取ろうと差し出した手を下ろすことも出来ずにいる少年が、ポカンとイオの後姿を見送っていた。
たった一人のはずなのに、イオは誰かと会話をしているかのように呟きながら、歩を進めている。
「で? 死霊憑きはどこに?……ああ、あの奥?」
もうすでにルシオの影も形も見当たらなかったが、イオの歩みに迷いはなかった。まっすぐに厩のわきの藁小屋の中に入って行った。
薄暗い小屋の中で、膝をついているルシオの背中と、ルシオの奥に横たわる小さな少女をイオは見つけた。
「ルシオ、死霊憑きの様子はどうだ?」
膝をつくルシオの隣に立って、真上から死霊憑きを見下ろした。青白くて、痩せこけた少女だった。
「立てるか?」
イオの問いかけに少女は答えず、ただ冷めた瞳で見上げている。旅装のマントから覗く腕は、ルシオが手当てをしたらしく、真新しい包帯が巻きつけられていた。足も同様な状態だ。おそらくその下には、死霊憑きであることを示す蚯蚓腫れが無数にできているのだろう。
イオは荷を下ろし、羽織っていたマントを脱ぎ、少女の前に背中を向けて腰を下ろした。
「ルシオ、こいつを俺の背にのせろ。おまえは俺の荷物を持ってくれ。アマランス神殿へ行く」
「アマランス神殿へは、行かない!」
少女が初めて口を開いた。思いがけず強い口調に、驚いたイオは振り返った。
「なんだと?」
「ロウレンティアへ行く」
「アホが! そんなところまでお前の状態で持つか!」
「……ロウレンティアへ行く……」
「へぇ、じゃあなんで今までここに転がってたんだろうなあ? え? 行けるもんなら自分の足で行けよ」
おしゃべりの間にも、少女はルシオの手によってイオの背に括り付けられ、マントを着せかけられていた。
「うるさい。頼んでないぞ! おろせ。アマランスなんてまっぴらだ! 私が悪霊になったら殺せばいい! ワノトギは悪霊退治が出来るんだろう?」
「……ふざけるな」
イオの低い声に、少女はびくりとする。
「殺せだと? てめえ自身で決着もつけられねえで、俺にお前を殺せだと? ああ、頼まれなくても殺してやるよ。だが残念だな、お前は悪霊にはならない。悪霊になるのはお前についているかわいそうな死霊だ!」
少女はイオの言葉に目を見開く。
ふっ、とルシオが息を吐いて肩をすくめた。なだめるように少女の背を軽く叩き、先に立って藁小屋を出て行った。
雨が降り出していた。
さっきくぐったばかりの関へ戻ると、体格のよい白髪の男が立っている。
男が進み出てルシオの前に袋を一つ差し出した。
「私はこのルネルの町の長です。そちらの御嬢さんは大分状態がひどかったようで、町の者が悪霊となるのを怖がって追い出してしまいました。まだ、この街の中にいたようですが。これは食料と、金も少しだが入っています」
ルシオがそれを受け取り一礼する。
マスカダインの地では、九つの神霊と、その神霊のかけらを内包するトギと、トギを使役することが出来るワノトギは信仰の対象であった。このように食料や、路銀を施されることも珍しくはない。
先を急ぐからと、イオとルシオは宿場町に背を向け、雨の降りしきる荒野に再び足を向けた。
「嬢ちゃん! 試練が上手くいくように祈ってるよ! 神霊の加護を!」
町の長と、先ほどの門番がそんなことを叫んでいたが、雨の音に打ち消されて、あっという間に声は届かなくなった。
* * * * *
辺りには闇の気配が忍び寄っていた。
町を出てしばらくは広々とした平原だったが、今は山岳地帯に差し掛かっている。
イオ、ルシオ、そして少女の三人は、途中の岩が張り出した場所で雨を避けながらひと時の休息を取る。
少女は固い携帯食をかじりながら「私の事なんて、放っておけばいいじゃない……」と、つぶやいた。
「ぼくはハルッシオ。ルシオと呼ばれている。そして、彼はイオネツでイオ」
ルシオがそう言って、首を傾げながら少女の顔を覗く。
「フォルテナ。……私の住んでいたのは、水の神霊フラサオが守護するヒヤシンスのベルナダ。ロウレンティア人だった母は、ヒヤシンスになじめなくて、私たち家族は山の中で暮らしていた」
「ベルナダ! そんなところから来たのか! ヒヤシンス神殿の近くじゃないか!」
イオが声を上げる。
「神殿になんか行きたくない」
死霊に取りつかれ、放置すれば憑かれた者は死に、憑いていた死霊は悪霊となってしまう。そうなればトギ持ちであるワノトギに討たれるほかはない。
「母さんが死んで、すぐに父さんも死んだ……。だれも私の事なんて気にしない。訪ねてくるものもない。私に取りついたのは父さんだったから、一緒に悪霊になってしまおうと思った……」
「でも、お前は旅に出た」
イオがフォルテナの声を遮る。
「だったら生きろ。俺たちが仲間になってやる。アマランスで試練を受けろ。おまえの父親共に生き残れる可能性はそれしかない」
「無責任なこと言わないで! 試練を受けたって、たいていの場合死霊は浄化され消滅するのよね? そうしたら……、そうしたら、私はまた……一人になるんだ!」
フォルテナがそう叫んで顔を上げると、じっと見つめるイオの眼差しとぶつかった。
「生きろよ。あきらめるな。結果はどうであっても俺たちが一緒にいてやる。お前が心配で親父さんは死霊になったんじゃないのか?」
イオが励ますようにフォルテナに声をかける。その瞳には真剣な熱がこもっていた。
フォルテナは、自分を見つめる二人の男の顔をかわるがわるに眺めた。
「わたしが……ワノトギにならなくても? 仲間になってくれる? ずっと一緒にいる?」
フォルテナがイオに手を伸ばした。イオは力強くうなずいた。
「ずっと一人だったの……。父さんがいなくなって、もう一年もたった一人で……」
堪えかねたかのようにぽろぽろと涙をこぼすフォルテナを、イオはしっかりと抱きしめてやった。
* * * * *
その後は、フォルテナも二人の手を借りながら自分の足で進んだ。
夜通し歩きつづけた三人は、まだ夜が明けないうちにアマランス神殿へとたどり着いた。
いつの間にか雨は上がり、暗い夜空の下フラガリエ火山の火口が赤く光っている。妖しく光る火口を背景に、三人の目の前には壮麗な白亜の神殿がそびえる。大神霊の加護により、火山が噴火しようともその白さと美しさが損なわれることはない。
白亜の神殿の奥には地下へと降りていく穴がぽっかりと開いていた。
そこから地下の闇の中へ、階段が一筋に伸びていく。
イオを先頭に、三人は真の神殿へと続く暗い階段を下りて行った。
降り切った先に、地下とは思えない巨大な広間が姿を現す。自然の鍾乳洞で出来た広間だった。
その奥に、さらに地下へと続く洞穴が開いている。
その洞穴の前に、一人の美しい女が現れた。
「ようこそ。私は炎の神霊アッサラフ様に仕える眷属アニーチェ。ここから先はフォルトナ一人で進むこととなります。イオネツとハルッシオは地上でお待ちになるように」
アニーチェは体をずらし、暗い洞穴へフォルテナを 誘《いざな》うように手をすっと動かした。
「心の準備はよろしいですか?」
アニーチェの問いにフォルトナがこわばった顔で頷く。
と、頭の上に大きな掌がのった。
「待ってるからな!」
掌から伸びる腕をたどれば、その先に笑うイオの顔がる。その隣で、ルシオも笑顔を見せている。
フォルテナも笑った。
うまく笑えているのか自信はなかったが、今自分の出来る精いっぱいの笑みを二人へと向けると、たった一人で地下神殿へと降りていった。
どれだけ地中深くへと降りたころだったろう。歩いてきた道が突きだした先は崖となり、その下に赤く燃えるマグマが流れていた。ぽかりと開いた天ははるか彼方に夜空が見えた。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ……。
地鳴りのような音が聞こえる。次第に耳をふさぎたくなるほどの轟音があたりを支配し、フォルテナは耳と目を塞いで、その場にしゃがみこんでしまった。
「フォルテナ! 目を開けよ! 我の一部を死霊に与える!」
びりびりと周囲を震わせる低音が響いた。
フォルテナが顔をあげると、マグマの中から赤く燃える髪を逆立て、まるで彫刻のように均整のとれた体躯の男が飛び出してくる。
「アッサラフさま……!」
フォルテナがアッサラフを認めると同時に、アッサラフが手のひらをフォルテナへと向けた。赤く輝く欠片が放たれ、フォルテナの中へと吸い込まれていく。
「きゃあぁぁぁぁぁぁぁ……!」
フォルテナは、その空間から弾き飛ばされ、暗闇に落ちて行った。
* * * * *
フォルテナは母と父と一緒に暮らす小さな家を見た。
笑顔の母。優しい父。
ただ……母は、ヒヤシンスの人が向ける好奇といくばくかの嫌悪が混じる視線を敏感に察する。
ロウレンティア人を快く思っていないヒヤシンス人。
母は人に会うことを極端に嫌い、家族は誰もいない山奥に暮らす。
フォルテナは、家から一番近いベルナダの集落にいる。
父が薬草を売るために店へと向かう。
フォルテナは一人広場で遊んでいる。
「ほらあの子……」
「ああ、ロウレンティアの?」
フォルテナをちらちらとみて、聞こえるか聞こえないかの声でささやかれる言葉たち。
「お前、ヒヤシンスの民じゃあないんだろ?」
「なんでヒヤシンスにいるんだよ!」
「ロウレンティアはすごいんだろ? だったらロウレンティアに帰れよ!」
子どもたちの罵声。
フォルテナはただ一人、父と母と暮らした家にいる。
たった一人で、穴を掘った。
少しも休まず、昼も夜も穴を掘った。
父の体をそこに埋めた。
フォルテナを訪ねてくるものはいない。
この世の中で、独りぼっちになってしまったのだ。
「いやぁぁあぁぁぁぁ!」
『フォルテナ! かわいいフォルテナ!』
頭の中に、声が響いた。
「お父さん! 連れて行って! この世でない何処かへ連れて行って!」
『フォルテナ。よく見てごらん。このマスカダインの大地の、お前はどれほどを知っているんだい? この世界は広い。おまえを受け入れてくれる人たちが待っているんだよ。フォルテナ、君にも仲間が出来たんじゃあないのかい?』
「……仲間?」
フォルテナは、温かい背中の上に乗っている。
いつ悪霊と成り果てるかもわからないフォルテナを背負い、しっかりとした足取りで歩いている人。
生きる気力を失い、横たわったフォルテナに真っ白な包帯を巻いて手当てをしてくれた人。
『父さんはいなくなるけれど、これからはトギとして、お前と共にあるんだよ。さあ、フォルテナ! 心を開いて、受け入れてごらん!!』
ごおっ、と風がフォルテナを取り巻いた。
目を開くと、フォルテナはフラガリエ火山の上を炎に乗って飛んでいた。
炎は天を焦がすかのように勢いよく燃え上がる。
「父さん……いえ、私の……トギ!」
『わたしの……ワノトギ……』
フォルテナの頭の中に直接語りかける声が聞こえた。
『行こう……ワノトギ、フォルテナ! 仲間の元へ』
「ええ、私のトギ! イオとルシオの元へ!」
フォルテナと、彼女のトギは、炎となって空を駆けた。
白亜の神殿のすぐそばの岩の上に、こちらを見上げる旅装姿の二人の男がいる。
「イオー! ルシオー!」
フォルテナが叫ぶと、二人の旅人は弾かれたように立ち上がり、こちらを見上げた。大きく天に向かって両の腕を広げる。
「フォルテナ!」
二人の声が、重なった。
フォルテナは炎となって、二人の元へと落ちていく。
旅をしよう。
一緒に。
風に乗り。雲を蹴り。炎となり、水となり……。共に……。
稀なる存在である、ワノトギとなって……。 〈終わり〉
観月/作